
モネの見た光を見る
皆さん、こんにちは!
新入社員のお豆です。
突然ですが、皆さんモネという画家はご存知ですか?印象派の画家として日本でも有名で、最近はグッズも多く見かけます。
今回私が訪れたのは、金山南ビル美術館棟で開催中の「モネ イマーシブ・ジャーニー 僕が見た光」。
この展示は、モネの見た景色をデジタル映像で体感することができます。まさに、モネの世界観に入り込むことのできる展示です。
私は元々モネの絵が好きなので、この展示の情報を知った時から「行かねば!」という思いでした。
今回はそんなモネの世界を体感した私の感想なんかを共有したいと思います!
……その前に、
皆さんはモネのこと、どれくらいご存知ですか?
綺麗で儚い絵の裏には、モネのひたむきな努力と波瀾万丈な人生が隠されているのです。
モネの展示を紹介する前に、まずはモネについてを紹介します!
クロード・モネ(1840-1926)
モネはフランス・パリ生まれ、印象派を代表する画家の一人です。
代表作「印象・日の出」は、絵画のジャンルとして「印象派」というものができた由来になっています。
モネの作品は戸外制作(絵画を戸外で描くこと)されており、物体そのものが持つ色ではなく、陽の光、反射など、目に入った「印象」が描かれました。
モネの絵の特徴は、絵の具をパレットで混ぜず、そのままの色を直接キャンバスに乗せ、色の濁りが全くないこと。絵の具を混ぜずに、異なる色を小さな筆のタッチ(点)で隣り合わせに置くことで、遠くから見ると色がまぜって見えるこの技法は「筆触分割」といい、多くの印象派の画家たちが用いた技法です。
モネの生涯
モネは30歳の時に、カミーユと結婚しました。有名なあの「散歩・日傘を差す女性」では、カミーユと息子のジャンが描かれています。他にもカミーユが描かれた絵はいくつもあります。
しかしモネが39歳の時、カミーユは32歳という若さでなくなります。
モネが68歳ごろ、二人目の妻、アリスと息子のジャンが亡くなり、モネ自身も徐々に衰え、目が見えなくなってきます。
また、印象派画家の同志たちも次々と亡くなり、モネは精神的に不安定になってゆきます。1909年ごろから1914年ごろのまでの絵があまり保存されていないのは、モネが自分の絵を引き裂いてしまったからだと言われています。
そして、最後の「睡蓮」を完成させた翌年、モネは68歳でこの世をさりました。
印象派の絵画
印象派の絵画は、最初は大衆に受け入れられませんでした。
当時評価されていた作品の多くは、何度も塗り重ねられた油絵で、下絵を描き、油彩で本番を描き、筆跡を全く感じさせないように仕上げられ、ツルツルした質感でした。そのため印象派の作品は、その伝統的な絵からしてみると「途中の段階」と捉えられていました。
(お)豆知識
・モネは16歳の頃からカリカチュアで稼いでおり、元々絵の才能が抜群でした。
・モネは日本の浮世絵の画題や画法の影響を強く受けていました。
ジャポニズムといわれる、19世紀後半に流行った風潮によるものです。これは日本が開国したこと、日本で万博が行われたことが始まりとされており、ゴッホやマネもその影響を受けています。
・モネの絵は印象派の画家のみならず、アンディ・ウォーホルなど近代のポップアーティストにも影響を与えました。
・モネの作品には黒色は使われていません。モネがなくなった時、棺にかけられた黒い布を見たモネの友人が「モネに黒色はダメです」とその布の上から花柄のカーテンをかけたそう。それほど、モネには黒色のイメージがありませんでした。
以上が、簡単なモネの情報です。これを知る前に展示を見るのと、知ってから見るのでは見方が大きく変わると思い、ある程度の知識を蓄えてから展示に向かいました。
それでは、「モネ イマーシブ・ジャーニー」に向かいます。
まず着いてチケットを購入。会場は建物の5階と4階にまたがっており、1度出ると戻れないので、しっかり見ることをおすすめされました。
5階から。エスカレーターを降りてすぐの所に、印象派の絵が出来た生い立ちが簡単にまとめられていました。難しそうな説明もイラストと簡単な言葉でわかりやすく説明されており、子どももじっと見つめていました。
そして別の部屋に移動すると、その部屋全体がデジタル映像に照らされていました。音声案内のQRを読み取ってイヤホンで聞きながらみることができます。映っている映像とリンクした音声が流れて、映像だけでなく音声も楽しむことが出来たので、この展示に行かれる方はイヤホンを持っていくことをおすすめします。
日曜のお昼頃だったので人がかなり多かったのですが、360°どこを見ても綺麗な映像が見れるので自分のペースで世界を楽しむことができました。
▲真ん中に大きな柱があり、そこにも映像が映ります。
壮大な音楽と同時に、映し出される作品の紹介、またモネの話だけではなくその時代に流行した絵や街の様子の話も聞くことができ、まさに「モネの見た景色」を味わうことのできる展示でした。
▲足元にも。幻想的な世界が広がります。
4階は、モネの絵だけでなくモネと関わりの深かった画家の絵も交えて数々の絵を「印象派展」になぞらえて展示されていました。作品は全てレプリカですが、本物そっくりに作られており絵のタッチが繊細です。
▲「印象・日の出」。「光」を描いてるな…と感じる作品。
▲「散歩・日傘を差す女性」。カミーユとジャン。
この作品が好きな方は多いはず。立ち止まって凝視している方が多かったです。
▲「ひまわり」。ゴッホのひまわりとはまた違った表現で、こちらも素敵です。
▲「積み藁」シリーズ。こうして並べてみると、季節感やその日の光の入り方などが伝わってきてよりその景色を楽しむことができます。
いっぱいあるとなんだかきのこみたいでかわいい。
▲「アイリス」。ピクミンブルーム(同期の中で流行っているスマホゲーム)で植えられる花なのでつい「ピクミンの!!」という反応をしてしまいました。
▲モネは浮世絵を自宅でコレクションしていたそうです。またこの黄色い壁も、モネの自宅の壁をイメージしています。
こういうところで日本の文化が良い影響を与えていると知ると、なんだか誇らしくて嬉しくなります。
モネやその他たくさんの画家は、チューブから出せる絵の具というものを多用して絵を描き上げました。そのチューブ絵の具ができる前は、なんと豚の膀胱の皮袋に絵の具を入れていたそうです。
▲豚の膀胱。最初に「ここにいれよう!」って言い出したひと、すごくないですか?というか、怖くないですか…?
▲これらの顔料を油で練ります。
当時の売れない画家は、絵の具を練り、それを売ってお金を稼いでいたのだとか。
そしてこちらが冒頭に説明した、筆触分割。
▲上は緑に、下はオレンジに見えませんか?
「モネ イマーシブ・ジャーニー」に訪れて学んだことは、「批判や不安に負けずに自分のしたいことをする」ということ。
モネの絵は最初は世間から批判され、「印象派」というのもモネの絵を揶揄されて言われたことが始まりでした。
また、印象派展でも仲間たちと方向性が合わなくなりしばらく出展をやめていた過去があったり、売れていない時期に貧乏な生活をしていたり、その不安は大きかったと思います。
それでも、モネは絵を描くことを辞めなかった。モネの覚悟を感じます。
私の本当にしたいことってなんだっけ?そう考えさせられました。
最初は誰にも受け入れられなくても、信じてやり続ければいつか評価されるかもしれません。将来、ビッグになれるかも。誰だって、その可能性はゼロじゃありません。
この展示を見て、なんだかいろんなことにチャレンジして、好きなことを探したくなりました。
そんな「モネ イマーシブ・ジャーニー」は6/22まで開催中です。幻想的なモネの見た景色を楽しみたい方はぜひ訪れてみてください🎶
イイ観賞されていますね
これを読んで行きたくなりましたが、6月22日とは今週中で終わりなんですね
残念ですので、このブログをみて「モネ」が感じることとします
印象派って、日常の風景や自然を描いているから感じやすいですよね(^^♪
私の好みは、はっきりわかる「草間彌生」っぽいものが見てて飽きないですが、、、(笑)
なぜだか「印象・日の出」の実物を観たことがある、という記憶になっているのですが、
どこをどう調べても、名古屋での展示は過去に一度もなく…。どこで何と記憶がこんがらがっているのやらw
ところで、「おもちさん」が描いた駒田印刷100周年パンフには、「日傘を差す女性」が登場するのは気付いていました?
何気に、各ページに必ず1つ、どこかに名画が隠れていますw おもちさんの遊び心です!
時間がたっぷりある時に、お豆ちゃんのブログを読み直して勉強します!
岐阜県にある〝モネの池〟には行ったことありますか?
田舎の地味な場所なのに、ホントに〝モネの池〟(みたいな池)がありました。
「芸術の秋」といわず、一年中、芸術に親しむことは大切かもしれませんね。